家族葬が妙な形の葬式になってしまいました!

9月14日の日曜日の朝8時に家を出て、大宰府インターから九州縦貫道を通って、八幡インターから北九州都市高速の大谷インターを降りて八幡東区の中央町にある斎場に着いたのが9時20分でした。


喪主と言うことで当然一番乗りで斎場に向かいました。


前日は弟が控え室で一夜を過ごし、朝に家族を迎えに一度帰宅した後でした。


まずは斎場の位置に少し驚きました。


今から40年ほど前にクラスメイトに雀荘の倅がいて、その雀荘とビルの地下に良く通っていた喫茶店があった場所なのです。


今ではありきたりかもしれませんが、鉄板の上に粉チーズたっぷりのナポリタンとコーヒーのセットを頼むのがお決まりでした。


店内はスパニッシュギターのみのレコードをかけて、コーヒー豆のにおいが立ちこめる別天地でした。


1人で式場に行き、母の棺の中を顔をじっと覗き込みました。
GEDC5230.JPG


9年前に父が他界した時は何がなんだか分らぬままに葬式をしてしまいましたが、今回はかねてより打ち合わせていた家族葬を致しました。


私は勤務先からの花輪、弔電などはすべてシャットアウトして、親族・姻族だけの厳かな葬式にすると決めていました。


勤務先の総務課の人には勤務先の先輩や後輩の弔問をすべて断るように伝えました


ところが、「母の最期の意志」でS学会の方々にお越しいただき友人葬という形式になり、弟の勤務先の人がゾロゾロと来るという妙な形の葬式になってしまいました。^^:


弟の勤務先の社長は弟と同級生で母を知っているから・・との理由ですので、断るわけにもいきません。


葬儀は11時からで、12時過ぎには八幡西区の本城にある火葬場に着き、喪主である私が火葬場の点火スイッチのボタンを押しました。


4000円で火葬場の別室を借りて、ここで弟が手配してくれていた昼飯を親族のみで食べました。


およそ1時間半後にアナウンスがあり、焼きたての遺骨を目の前にすると、母の両膝にはかって1年おきに飯塚病院で入れたかなり大きな金属の人工関節が残っていました。


大きなお箸で焼かれた骨を骨壷に交代で入れ終わって、火葬場で現地解散というのが家族葬のパターンです。


弟と私の家族は火葬場からタクシーで中央町の斎場に戻り、今後のことを少し話して2時半頃に斎場を後にしました。


弟と弟の嫁さんがすべての手配をしてくれて、納骨堂の手配も考えるけん!!と言いつつ骨壷までも持って帰りました。


既に、夫婦で心当たりがあるのでしょう。


何から何まで手配してくれた弟夫婦に感謝しながら3時半には自宅に戻りました。


親族や姻族ですら、こういう時でないと、なかなか会えないものです。


私を生んで育ててくれた両親がこの世にいなくなりました。


「両親に頼らず、迷惑もかけないこと」だけを眼目に今日まで生きてきました。


ですが、弟と片付けねばならない重要な問題が残っています。


この問題のために私は多くの判例を見ましたが、似た様なケースの判例もありません。^^;

厄介な事例です。


3ヶ月以内に片付けねばならない問題です。


























posted by ジャズフィッシュ at 10:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 福岡近郊の釣り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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