古(いにしえ)の博多が、愛おしいかも?

私は本を読むのがある意味日課になっています。


それは、自分が無知で無学であることを誰よりも知っているからです。


「どんな博学な方でも、その一生に得る知識は地球儀を針で割いた程度である!」ということを何かの本で読んで依頼つくづくそう思ったのです。


だから・・・・・、本を読まざるを得ません。


それが何であれ!!


なので、ある時期は本当に速読術を身に付けたい!と、思ったこともございますが、もったいないお話です。


「好きな本は何度でも読みたい!主義」ですから。


こうして釣りのブログを書かせていますし、確かに小学生になる前から釣りに親しんだ記憶がございますが、釣りの本質を考えたこともございませんし、これからも意図的に考えないと思います。(汗)


「楽しければ・・・、いいや〜!!!」と、いうのが前提ですし、イヤなら釣りにも行きません。


基本的に私は人と競うことが苦手です。


なので、釣り大会、トーナメントなど1度も出たことがありません。


私の釣りに栄光など要りませんし、長くやっているワリには、自分が上手であるとも思っていません。(汗)


だからと申しまして、誰に迷惑など掛けるわけでもございません。


勝手気儘なオトコの勝手気儘なノーストレスの釣りを楽しみたいだけ。


今日、地下鉄の電車の中である本を読んでいますと、大昔の博多湾のことが記述されていました。


博多湾は明治時代よりかなり埋め立てされて現在の地図よりもかなり広かったようです。


現在小高い丘になっている西公園あたりも一面の海だったそうで、その昔は島だったそうです。


今の福浜から唐人町、長浜、那の津通りを経て、千鳥橋、更に国道3号線ぐらいまでがずっと博多湾だったようです。


更に「博多」と言う文字が文献にはじめて登場するのが759年の「続日本記」。


その当時は「博多大津」と呼ばれていたそうです。


中国や韓国の文献にも「花旭塔」だとか、「八角島」、「冷泉津」、「石府台」などと言う呼び方があったそうです。


更にそれ以前は、「灘津」、「那津」、「灘大津」、「筑紫大津」、「荒津」などと呼ばれていたそうです。


ちなみに津という文字は港を表します。


博多と言う文字が登場してから1200年以上が経つのですが、博多には港があり、人々が住んで、外国とも交流していたらしいいのです。


タイムマシーンがあったら古(いにしえ)の博多に行って、竿を出してみたくないですか?


というより、どのような港であったのか、本当に見てみたいものです。


私よりも20歳ぐらい年上の方と釣りに行っていた際に、箱崎埠頭はその方が幼い頃3号線まで海であったということを聞いた記憶がございますし、投げ釣りで30センチぐらいのマダイが良く釣れた・・・とも聞いたことがございます。


そんな近い話ではなく、1200年ほど前の博多湾のお話です。


目をつぶり、想像しただけで、ワクワクします。(バカ、ですよね!)


もちろん志賀島は島だったのでしょうし、防波堤も埠頭も何にもない広大な博多湾です。


そんな時代で、今現在のような竿とリールと最先端のミチイトやハリス、ハリを使って釣ると・・・。


一体何が釣れるのでしょうか?























posted by ジャズフィッシュ at 23:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 福岡近郊の釣り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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